長女への対応を通して見た私のこと
先日の朝、長女と私で登校班の集合場所まで行って、
でも長女は登校班の列には並ばずに
「今日は学校に行きたくない」と言った。
準備の時から乗り気じゃなくて、
集合場所に向かいながら黄色い帽子がすぐ取れてしまって嫌だったり、
帽子が取れてしまう不快に泣き出したり、
泣いて鼻水が出て更に嫌になっていったり、
とモチベーションが下がっていく状況が重なっていく。
長女の現実想像?!
家に帰ってから話聞いたり行くように促したりしたけど、
その日長女は学校を休んだ。
(今までを思い返しても、話を聞いても、“学校”に行きたくない大きな理由がある様には感じなかった。)
この日は有難いことに次女同伴で行っている仕事場だったので、長女と次女の2人連れで行くことに。
休むとなったら学校の準備をしてる時とは一変して軽やかそうな長女。
停止していた思考が動き出した感じに見えた。
いつも以上にはしゃいでる様に見えるのは、軽やかな気持ちだけじゃなくて負い目みたいのも奥にあるのかな?とも詮索してみる。
そんな長女に向かって私から出てくる言葉にいちいちトゲがある。
せっかく休んだのだから安心して楽しく過ごして長女の充電ができる時間にしたいのだけど…出来ない
長女は、見た感じは私の言葉をそんなに気にしてなさそう。
長女に「今日のおやつは何がある?」
と聞かれたら
「学校の時おやつ食べないでしょ」
と言ったり。
・トゲのある言葉を言う私、
・その言葉を発した後に心の中で被せ気味に
「そんなことが言いたいわけじゃないんだよ」と自分の言葉に反論や戸惑いを起こす私、
・長女が私の言葉に傷をおわないか心配な私、
・その自分が発した言葉のトゲが刺さり痛む私、
・そしてモヤモヤが起こっている自分の思考を観察する私、
一連の流れを何度か繰り返しながら、
1人コントみたいで、思考や心の中まで出てるふきだしがあったら面白いことになってるな~って想像して少し笑ってる私も。
そして、心の中には号泣している私もいた。
笑ったり泣いたり忙しい
浮かんできたのは…
私は許せないんだな
ということ。
学校を休んだ長女が許せないんじゃない。
長女に対しては、
重たいランドセルしょって頑張って学校通ってるな~と感じていて
「疲れることもあるよね、疲れたら休憩も必要だよね」
とフラットなところでは思ってる。
私が“長女を通して見ている私”を
今はまだ、どうしても許せないんだな
って感じた。
何が許せないか考えてみると、
苦労から目を背けて楽な道を選ぶこと。
みんなと同じことが?!上手にできないこと。
(書き出してみると、それのどこがいけないんだ?!というようなことかも)
などが思い浮かんだ(他にもある気がする)。
そして、
長女が学校を休むことを通してやってることは、
本当は私のやりたいことで、
だけど私にはそれをやってはいけないみたいなブロックがかかっていて、
だから反発が起こるのだと思った。
許したい私、
許せない私、
許されなくて悲しくて号泣している小さい頃から私の中にいる私。
そんな私を感じながら、
普段は奥の方に隠れてる私の傷を教えてくれる長女は、
私を救いにきてくれた存在だととても感じた。
傷がわかって、
ちゃんと治療出来たら、
少しづつ傷は癒えていくって思っている。
そんなにすぐには全部は許せないのかもしれないけど、
少しづつでも何度でも傷を癒して許していけばいい。
こんな一連の自分を感じる体験だけでも、
少しづつトゲは減ってきた気がした。
長女に対してのモヤモヤの気持ちもだんだん落ち着いてきていた。
その次の日も長女は学校を休んで、
その次の次の日からは今まで通りに学校に行く日々が始まった。
自分を癒すこと
トゲが刺さるのも辛くて苦しいけど、
トゲを持っていることも辛くて苦しい。
持っていることが辛くて苦しくても、
そのトゲは私を守る武器でもあって。
戦う必要がないとちゃんとわかれば武器は必要なくなる。